歴史的背景
古くは地区全体で役割分担をして名吉網(ボラ漁)を運営していました。
明治期以降になると、名吉網に変わりブリの水揚げを中心とした大型定置網漁が産業の中心となり、大敷と呼ばれ親しまれてきました。他県から経営者をむかえることもありましたが、現在まで大型定置網が地区の主要な雇用の場であり続けています。
名吉網に端を発し、町中が一体となって漁を行ってきたこの町では、何か一つのことをやろうと決めた時に一致団結して取り組みを進められる素地があります。
現在では廃止してしまいましたが、近年までお正月に催していた「お弓行事」では、弓矢や的、さらには的に使う墨や骨組みまですべて担当が振り分けられ、各役割ごとに決められた作法のもと、時間をかけて手作りをしていました。


中心の考え方
現在では尾鷲市の中の一集落としての位置づけですが、もともとは海と山で隔離されていた早田町。そのため、町自体が一つの共同体であり、家族のように暮らしてきました。
時が経つにつれ若者を中心に都市部へ住むようになり、徐々に共同体としての力が弱まってきました。
「このままでは、この町を存続していくことが難しい。」
私たちが暮らしているこの町を、孫の代まで残していくために、今できることを一つずつやっていきます。
課題と問題意識
大敷を中心として成立してきたこの町では、祭礼や食文化、生活様式に至るまで、暮らしの大部分が漁業に根差しています。
同時に地区内において20名程度を雇用できる大敷は、産業的にも欠かせない存在です。町を残していくためには、「まず大敷を残していく」ことが最重要。
次に、ここ数十年で人や経済の流れはすべて外向きに変わっていき、地区内に残る部分、循環する部分が極めて少なくなっていました。これらの流れを変えるためには、どうしたらよいか。ひとつ一つの取組に落としこんで次の世代への橋渡しをしています。

まちづくり年表
平成19年度
「限界集落」という言葉が新聞紙面を賑わす。早田地区もしかり。
婦人会に代わる「ひまわりの会」を設立。地域づくり部会として活動。
平成21年度
三重県「中山間地域等における中間支援業務のあり方検討事業」
― 三重大学の学生を地区に呼び、地域資源・課題の話し合いをはじめる。
→話し合いの場を「ビジョン早田」
学生との交流行事を「はいだといっしょ」と名付ける。
平成22年度
「農山漁村経営マネジメント機能向上ふるさと雇用再生事業」採択。
― 旧早田漁協に地域づくりの担い手を一名採用。
「ビジョン早田実行委員会」の設立
最初は「漁業者部会」「ホームページ部会」「地域作り部会」の三部会。
平成23年度
「担い手対策事業」採択。
第1回はいだサポーター募集。
「中山間地域等における中間支援業務のあり方検討事業」が終了。
成果 ①地区住民のあいだで、今後の活動について合意形成がなされる。
②地区に活動拠点となる施設が必要 →コミュニティセンター建設へ
平成24年度
慶應義塾大学「尾鷲市元気プロジェクト」始まる。
―慶應義塾大学 飯盛ゼミと連携。
担い手対策事業「早田漁師塾」第1期開校。
→1名が(株)早田大敷にて長期研修を受け、その後入社。
平成25年度
早田コミュニティセンター完成。
尾鷲市元気プロジェクトにより、「笑顔食堂」設置。
第2回はいだサポーター募集。
第2期「早田漁師塾」開校。
尾鷲市元気プロジェクトの終了。
平成26年度
第一回早田寒ブリまつり
早田町作り研究会(慶應義塾大学) ブリ料理試食会・討論会
地域おこし協力隊1名着任。「女性の雇用創出」を目的に活動開始。
総務省 過疎地域自立活性化 優良事例表彰
「全国過疎地域自立促進連盟会長賞」 受賞
平成27年度
合同会社き・よ・り設立
平成28年度
地域おこし協力隊追加で1名着任。
平成29年度
水産庁「もうかる漁業創設支援事業」採択
地域おこし協力隊1名退任。